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12級:右脛骨開放骨折(30代男性・愛知県)

【事案】

オートバイを運転中、路外より飛び出した自動車に衝突される

【問題点】

特になし。

【立証のポイント】

主治医に、残存する症状に対する各検査を確実に行って頂き、
後遺障害診断書に漏れのない様に記入して頂いた。
                                (平成23年9月)

14級:外傷性頚部症候群(40代男性・愛知県)

【事案】

歩行中に駐車場においてバックではねられる。

【問題点】

事故受傷から3ヶ月で保険会社から治療を打ち切られ、通院していた病院にも通院する事を拒否された。

【立証のポイント】

当事務所で治療先を紹介し診断して頂いた結果、継続治療の必要ありとの診断。
健康保険を使用し、実費で4か月の通院後、14級が認定される。
                                          (平成23年9月)

不朽の矢

アメリカの詩人であるヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー(1807年2月27日ー1882年7月24日)は、子供の頃に森の中で遊んでいるうちに何心なく引いた弓の矢が一本の木にあたり、何十年かたったある日倒れた大木の根本に一本の矢がささっているのを見て、かって自分が不用意に放った矢であろうと深く悔いるところがありました。

これとよく似た話が日本にもあります。ある武家の子が山路を歩いている時に小さな蛇に出会いました。その武家の子は刀を抜いて切りつけましたが蛇は逃れて草むらの中に隠れました。そして、何十年かたったある日大きな蛇が裏山に死んでいるのを見ると頭に大きな刀の傷あとがあり、右眼がつぶれているのを見てはっとなりました。さてはこの蛇は昔自分が刀で切りつけたあの蛇であろうが、長い間片目でさぞ不自由をしたことであろうと、自らの罪を深く悔いるところがあり、出家して蛇の霊を慰めたという話です。

いずれもその不用意の行動に懺悔(ざんげ)し祈りを捧げたものでありますが、この不用意な言動がいかに人の心を傷つけるかをよく考えなければなりません。

杉と楠(くす)の教え

昔から楠に千年の齢(よわい)ありと言われるくらい楠は長寿であり、容易に風雪に負けることがありません。それは、上に一寸伸びれば根も一寸張るという具合に、根と幹がうまく調和しながら成長するからです。

逆に杉のほうはたちまちにして天空にそびゆる高さに伸びるが、根がそれだけ張っていないために少しの風にもすぐに倒されてしまいます。

「杉の根倒れ竹の立ち直り」ということも全くこれと同じ理屈で、杉は根が浅いから少しの風にもすぐに吹き倒されてしまうが、竹は根が張っているから、どんな大雪にもやがて立ち直れることができると表しています。

これは、芸と心の関係を教えたもので、剣道で言えば技術オンリーで伸びる人は技術の上達は早いが心の修行がこれに伴わなければ、その技術は少しのことにもすぐに挫折してその大をなすことができないことをさしています。

昔の修行者が滝に打たれ、山野を歩き回り、あるいは座禅をしたり神社・仏閣に参ってとじこもったりして心の修行を大事にしたことは全くそのためなのです。

14級:外傷性頚部症候群(38歳男性・栃木県)

 

【事案】

自動車運転中、後方より追突されたもの

【問題点】

受傷4ヶ月時点でご相談をいただく。まずは主治医の確認。神経の専門家としての診断が出来るのか?不安を感じる。被害者プロゴルファーということもあり、細やかな治療の必要性あり。総合的判断として当事務所がいつもお世話になっている専門医に転院を決断。

【立証のポイント】

自覚症状・MRI・神経症状、材料集めを私が支援、主治医がそれら全てを有機的につなぎ合わせて後遺障害診断。滞りなく14級9号認定。(平成23年9月)

剣の四戒(人生の四戒)

恐・驚・疑・惑を剣の四戒とも四病とも言われますが、これはまた人生の四病でもあります。剣道で負けるのは皆この四病のなせる業でありますが、この病原を摘抉しなければ快適の試合もできなければ立派な剣道にもならないのです。

相手を恐れることで「あれは強い」「あれは小手がうまい」などと戦う前から相手の得意技や戦歴に恐れをなすことです。

剣道では「勝って而後(じご)戦う」という教えがあります。試合をして勝つのではなしに試合をする前から相手を気で制して勝つ心構えが大切だということを教えています。

平常心を失ってあわてることですが、剣道ではとっさの攻め、あるいは鋭い担ぎ技などにははっとたじろぐことです。

稽古を積んで内容が充実していれば、少々のことに驚くことはありませんが、技が未熟で心の修行が足りない者は相手のちょっとした動きにもはっと驚き自ら墓穴を掘ることになるのです。

「はっと驚いてはいけない」ということと、常に研学の心境を学ばなければなりません。

相手の心や行動を怪しみ自分の心が定まらないことです。剣道で相手の構えに隙があれば、わざと隙をみせてあとを打つのではあるまいかと疑い、相手が難剣であればどこから打ってくるのであろうかと攻めの手口を疑い、結局は心の迷いばかりで自分の信念の刀がなかなか振るえない状態のことであります。

世の中すべてが先・断・残の三ウン一味であり、先の気が整ったら躊躇なく一刀両断の信念の刀を振るわなければなりません。

「狐疑心」というのは、狐は一目散にに逃げれば逃げおおせるものを、必ず一度立ち止まって後ろを振り向く習性があるそうですが、猟師はその振り向くところを狙って狐をしとめるということです。

剣道でも思い切って面を打ち込めば打てるものを、出小手を打たれはしないかと途中で疑えば、それが「狐疑心」であり、そこに隙を生じて逆に打ちこまれるのです。

勘は冴えた心境にひらめくものであり、疑は濁った心に湧く迷いなのです!

いろいろと迷い決断のつかないことです。剣道で若いうちは試合の名手と言われた人がさっぱりあたらなくなることがよくあります。慢心したわけでもなければ稽古を怠けたわけでもありません。それでいてどうにも冴えないし、今まで勝っていた人たちにまで負けるようになることがあります。それはやっているうちにだんだん剣の理が分り、ああすればこうだ、こう打てばそうされるという剣理のよみができ、それが迷いとなり惑いとなって打つ太刀を引き止め、攻撃のブレーキになるからです。

最初は勘の命ずるままに打って何の迷いも無かったものが、なまじ剣の理が分ると、それが惑いとなって逆噴射を起こすことになるのです。しかし、これは上達の過程であって、やっているうちに今度は剣理に基づいた正しい打法に帰ってくるのです。こうなれば迷いもなく、惑いもなく剣道本来の姿に帰り技心ともに向上することになるのです。

止心

心は十方八方に広がり、いかようにも働くものでありますが一つのことに執着すれば、他の働きは全部抜けてその用をなしません。

剣道では、面を打とうと面に心を留むれば他の働きが抜けて小手や胴に隙を生じます。小手を打たれまいと小手に心を留むれば他の部位をみんな打たれる結果になります。

人の心もこれと同じく一点に執着し、凝り固まっては物の役には立ちません。

「止心」ということは思い込むことであり、これは往々にして人を痴呆にし一時的にその人を判断無能に陥れるのです。

このように一つの事、一つの所に心を留めることが「止心」であり、剣道においても人生においても最も戒心(用心→戒心の用)すべき大事なことなのです。

慢性の生理痛

2011/09/15

生理痛で悩んでいる方がよく来院されます。原因は様々でしょうが、仙骨の歪みもその一つと思われます。事実、来館されたすべての女性が仙骨を矯正することで、その悩みは解消されています。仙骨の歪みとは、その左右の片側が浮く状態になっていることで、浮いた側を戻すことによります。人間は二本足歩行によりまっすぐな状態でいることは難しく、左右のどちらか側に傾き、右利きは左に、左利きは右側に歪んでおり、その歪みが原因で長い年月を経過して様々な障害が出てくるのです。常にまっすぐに左右対称で生活することはむずかしいですが、背筋を正し利き手側に頼らないことも意識してみてはどうでしょうか。

無刀取り

柳生流の秘剣に「無刀取り」の極意があります。しかしこれはテレビや映画で見るような、打ち込んでくる太刀を両手で挟んで、相手の太刀をもぎ取るようなものではありません。

柔道では勝つことを「一本取る」と言います。この取るということは勝つことであり、無刀取りも無刀にて相手を制し、相手に勝つということです。また機略をもって相手を制することも無刀取りの一種であります。

無刀取りの本家本元は、柳生石舟斎であります。その石舟斎も「無刀に極まるならば、ものの夫(武士)の腰の刀は無用なりけり」と歌っていて、果たしてどこまで無刀取りの実用性があったかは定かではありませんが、その子宗矩は、

1、無刀取りとは、必ずしも相手の刀を取らなければならぬことではなく、自分が無刀の折に相手を制することである。

2、相手を恐れず、敵の間合いに入り「切られて取る」覚悟がコツである。

と理論的に歌っていて、この「切られて取る」心が柳生流の極意であり、「たんだ踏み込め神妙の剣」というのが柳生流の秘剣中の秘剣と言われていることからしてもその極意の程がよく窺われます。

昔の無刀取りの秘法は、命を捨ててかかることであり、その心境を今の言葉で言えば「不惜身命」であります。柳生流が生んだ無刀取りの秘法を今改めて見直し、政治家を含むすべての人々がその精神を体しこれを生かし実践していかなければならないのではないでしょうか。

四習い

「師に習い、友に習い、己に習い、場に習う」とうことで、換言すれば上に習い下に学ぶということです。

特に最後の「場に習う」ということが最も大切であり、どんなに頭の中で理解していても、実施の修練を積まなければ物の役には立たないのです。

「習うより慣れよ」であり、よく言われます「場慣れ」であります。

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